オリビアは自分の部屋に戻ると机に向かい、カバンから書類を取り出した。この書類はアデリーナから教えてもらった物で、大学院入学届の申請書だった。優秀な学生は無償で大学院に進学することができ、さらに寮に入れば生活の面倒も見てくれるという素晴らしい内容が記されている。アデリーナと別れた後、学務課に寄って貰ってきたのだ。「父も兄も、女の高学歴を良く思っていないわ。当然大学院の進学なんて反対するに決まっている。大体卒業後はギスランと結婚させて進学もさせないつもりなのだから」……いや、そもそもギスランは自分と結婚する気があるのだろうか? 異母妹のシャロンと親密な仲である状況で……。そんな事を考えながら、オリビエは書類の記入を始めた――****一方その頃……。「聞いて下さい、あなた!」ゾフィーはノックもせずに乱暴に扉を開けると、夫――ランドルフの書斎にズカズカと入ってきた。その非常識な振る舞いにランドルフは眉をひそめる。「何だ、ゾフィー。随分と騒がしくしおって。見ての通り、仕事の書類がたまっていて今忙しいのだ。話なら後にしてくれ」「いいえ! 聞いていただきます。オリビアが私に歯向かったのですよ! 生意気にもあのオリビアが私に挨拶もせずに無視したたのですよ!」悔しさをにじませながら机を叩くゾフィー。「だが、お前の方こそ今までオリビアを無視してきただろう? いつもお前に声をかけても無視されるから、オリビアも挨拶するのを諦めたのだろう。別にいいではないか。あんな娘など、気にする価値もない」あまりにも呆気ないランドルフの態度にゾフィーは苛立ちを募らせた。「何を言っているのです! それだけではありません! 何故挨拶をしなかったのか問い詰めたら謝るどころか、生意気にも私に言い換えしてきたのですよ!」「何? オリビアがお前に言い返してきたのか? 確かにそれは由々しき事態だな……」「ええ。だから今すぐオリビアの部屋に行って、あなたから、お説教を……」「イヤ、それは無理だな」「……は? あなた。何をおっしゃってるの?」「だから今は忙しいのだと言ったばかりだろう? お前にはこの書類の山が見えないのか?」「ですが、こういうことは早めに説教するべきです! また憎たらしい態度をとられる前に!」「いいかげんにしろ! ここ最近目の回るような忙しさなんだ! 説教な
18時半を少し過ぎた頃のこと。ゾフィー付きのメイドが厨房で、料理長と話をしていた。「え? 今、何と言ったんだ?」料理長が怪訝そうな表情を浮かべる。「だから今夜の食事、オリビアにはスープとパンだけを出すようにって言ってるのよ」仮にも伯爵令嬢であるオリビアを呼び捨てにするこのメイドはゾフィーから格別に可愛がられている。先程オリビアを睨みつけていたのも、このメイドだ。彼女はゾフィーに気に入られているのをいいことに、使用人の中で尤もオリビアを軽視していたのだ。「これでも俺は、この屋敷の厨房を任されているんだぞ? その俺に使用人以下の料理をオリビア様に出せって言うのか?」料理長としてプライドが高い彼は、この提案が面白くないので不満げな顔を浮かべる。「そうよ、これは奥様からの命令なの。今日、オリビアは生意気な態度を奥様にとったのよ。その罰として、今夜の料理はスープとパンだけにするようにって命じられのよ」本当はそんなことは言われてなどいない。けれど、このメイドは点数稼ぎの為に嘘をついた。1人だけ貧しい食事を与えて、身の程を分からせようと企んだのだ。「奥様の命令なら仕方ないか。分かった、スープとパンだけをオリビア様に提供すればいいんだな?」「ええ、そうよ。分かった?」「何処までも横柄な態度を取るメイドに、料理長は素直に従うことにしたのだった。そして、その様子を物陰で見つめていたのは専属メイドのトレーシー。(た、大変だわ……! オリビア様のお食事が……!)トレーシーはメイドと料理長が交わしたやりとりの一部始終を目撃すると、踵を返してオリビアの元へ向かった――****「大変です! オリビア様!」トレーシーはオリビアの部屋へ駈け込んできた。「トレーシー、そんなに慌ててどうしたの?」「それが……」トレーシーは自分が厨房で見てきたこと全てを説明した。「ふ~ん……そう。義母は、自分のお気に入りのメイドを使ってそんな真似をしたのね?」「どうなさるおつもりですか? オリビア様」まだ年若いトレーシーはオロオロしている。「そうね……」今迄のオリビアなら家族に嫌われたくない為に、どんな処遇も受け入れただろう。けれど憧れのアデリーナに指摘されて目が覚めたのだ。『何故、我慢しなければならないの? 家族に媚を売って生きるのはもう、おやめなさいよ』
「それではトレイシー、行ってくるわね」自転車にまたがったオリビアが、外まで見送りに出てきたトレイシーに笑顔を向ける。「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ。必ずオリビア様に言われた通り、実行したしますのご安心下さい」「ありがとう、よろしくね」オリビアは黄昏の空の下、自転車に乗って町へと向かった。「お気をつけてー!」トレイシーは姿が見えなくなるまで手を振り続けた――**** オリビアが町へ到着した頃には、すっかり夜になっていた。ガス灯が照らされ、オレンジ色に明るく照らされた町並みは、いつも見慣れた光景とは違い、新鮮味を感じられる。それでもまだ時刻は19時になったばかりなので、多くの老若男女が行き交っている。「すごい……夜の町って、こんなに賑わっていたのね」自転車を押しながら、オリビアは目当ての店を探して歩く。彼女が探している店は、最近学生たちの間で話題になっている店だった。「女性一人でも気軽に入れる店」を謳い文句に、まだ若い女性オーナーが経営している店だと言う。『内装もお洒落で、女性向きのメニューが豊富』と、女子学生たちが騒いでいたのを耳にしたことがある。その時から機会があれば一度、行ってみたいと思っていたのだ。「確かお店の外観は、レンガ造りの建物に紺色の屋根って言ってたわね。そして店の名前は……」すると、前方に赤レンガに紺色屋根の建物を発見した。入り口には立て看板もある。「あれかもしれないわ!」オリビアは自転車のハンドルを握りしめると、急ぎ足で向かった。「この店だわ……『ボヌール』。間違いないわ」店の名前も事前情報で知っていた。窓から店内を覗き込んでみると20人程の客がいいて、全員オリビアと同年代に思えた。客層が若いと言う事に後押しされたオリビア。早速店脇に邪魔にならないように自転車を止めると、緊張する面持ちでドアノブを回した。――カランカランドアベルが鳴り響くと中にいた何人かの客がこちらを振り向き、緊張するオリビア。けれどすぐに視線が離れたので、ゆっくり店内に足を踏み入れた。店内にいた客は男女合わせて半々というところだった。けれど、店に1人で来たのはオリビアだけのようだった。(え? 女性一人でも気軽に入れるお店と聞いていたけど……何だか思っているのと違うわ)しかし、今更店を出ることも出来ない。オリビアは覚
「あ、あの……?」見覚えが無く、首を捻ると青年は笑顔になると向かい側の席に座って来た。「君、1人でこの店に来たのかい? 1人で食事なんて味気ないだろう? 俺も1人なんだよ。良かったら一緒に食事しよ?」「い、いえ。結構です」身の危険を感じたオリビアは首を振る。「まぁ、そう言わずにさ。食事なら俺が御馳走してあげるから」そして男性客は突然、左手首を掴んできた。「え!? ちょ、ちょっとやめてください!」手を振り解こうとしても、力が強すぎて敵わない。周囲にいた客は騒ぎに気付いていも、誰も助けようとはしない。その時――「お待たせいたしました」ウェイターが突然大きな声をかけてきた。「お、おい! いきなり驚かすなよ!」男性客が非難すると、ウェイターは鋭い眼差しで男性客を睨みつける。「俺はこの店のオーナーで、彼女の知り合いだ。出入り禁止にされたくなければ、勝手な真似をしないでもらおうか?」「う……わ、分かったよ!」その目つきがあまりにも鋭かったので、男性客はたじろぎ……周囲の冷たい視線に気づいた。「く、くそっ!」バツが悪いと感じた男は逃げるように店を飛び出して行ってしまった。「ふん。所詮、いいとこの貴族だな。あれくらいのことで逃げ出すとは」扉を見つめ、ため息をつくウェイターにオリビアは礼を述べた。「あ、あの……ありがとうございます。おかげで助かりました」「こんな目立たない席で、1人でいると今みたいなことになるかもしれない。カウンター席に来た方がいいな。こっちに来いよ」それはおよそ客に使うとは思えない、乱暴な口調だった。「はい……分かりました」青年に言われるままにカウンターに連れられてきたオリビアは席に着いた。「それで、何にするんだ?」「え? ええと……ディナープレートをお願いします」「分かった」ウェイターは頷くと、カウンターの奥に消え……少し経つと再び戻ってきた。「すぐに作るように注文入れてきた。だから食べ終えたらさっさと帰れよ。大体、何で女1人で来るんだよ」「え? で、でもこのお店は女性1人でも気軽に入れるお店って聞いていたんですけど? しかも女性オーナーだって……それなのに、あなたがオーナーってどういうことですか?」「……あぁ、それでか」何処か納得した様子で青年は頷き、続けた。「それは、あくまで朝から夕方までの
一方その頃―― フォード家ではオリビアを除く全員がダイニングルームに集まり、席に着いていた。そして給仕たちにより料理が運ばれ、それぞれの前に置かれていく。そのどれもが見事な物だった。「ふむ。今夜の料理も素晴らしいな」ランドルフが満足そうに頷く。彼は美食家であり、料理に一切の妥協を許さないことで貴族の仲間同士に知れ渡っているほどだったのだ。「ええ、そうね」「今夜も美味しそうだ」「楽しみだわ~」家族3人も嬉しそうに料理を見つめていたその時。「……おい、何だ? その粗末な料理は」ランドルフがまだ空席のオリビアのテーブル前に置かれた料理を見て、眉をひそめる。置かれているのは具材の無いスープに、パンのみだった。「フォード家で、このような貧しい料理を出すとは……一体どういうことだ!?」例え冷遇されている娘とはいえ、美食家のランドルフにとって目の前で粗末な料理が出されることは許し難いことだったのだ。ランドルフの怒声に給仕のフットマンは震えあがった。「あ、あの……そ、それは……料理長の指示でして……」「何だと!? では、その料理長を今すぐ呼んで来い!」「はいぃっ! た、直ちに!」フットマンは駆け足で厨房へ向かった。「……全く、いったいどういことだ? 私の前であのような料理出すとは不快い極まりない」苦虫を潰したような顔になるランドルフ。「ええ、そうね。一体料理長は何を考えているのかしら?」まさか自分のメイドの仕業とは思いもしないゾフィーは首を傾げる。「不愉快な料理だな」長男のミハエルは顔をしかめ、シャロンは無言で自分の髪の毛をいじっている。「お待たせいたしました!!」そこへ先程のフットマンが、料理長を連れて戻って来た。「あ、あの……旦那様。私に何か御用があると伺ったのですが……」ここへ来るまでに、ある程度のことは聞いて来たのだろう。青ざめた顔の料理長が恐る恐る尋ねてきた。「お前が、あの料理を出すように命じたのか?」鋭い口調でランドルフが尋ねる。「はい、そうですが……」「何故、私の前であのような粗末な料理を出したのだ!」「そ、それは奥様付きのメイドが言ってきたのです! 本日、オリビア様が奥様に失礼な態度を取ったので、罰として夕食はパンとスープのみにするようにと! 奥様がそのように命じられたそうです!」火の粉が飛ん
「あ、あ、あの……わ、私に何か御用でしょうか……?」全身をガタガタと震わせ、青ざめたメイドが怯えた様子で現れた。「お前か! 私の前にくだらない料理を出させたのは!」「ドナッ! よくも私の名前を使って、勝手な振舞をしてくれたわね! いったいどういうつもりなの!?」ランドルフとゾフィーの怒声がメイドのドナに降り注ぐ。「あ……そ、それは……」すっかり涙目になっているドナ。皆に喜ばれると思っての行動が裏目に出てしまうとは思わず恐怖で震える。特に可愛がってもらえていたゾフィーからの叱責はあり得ないものだった。「さっさと答えろ!」「答えなさい!!」2人の怒りの声は、しんと静まり返ったダイニングルームに反響した。「も、申し訳ございません……ゾフィー様に失礼な態度を取った……オリビア様に嫌がらせをして……ご自分の態度を改めて貰おうかと思って……」ガタガタ震えながら答えるドナ。すると、フッとミハエルが笑った。「まぁ……目の付け所は悪くなかったかもしれないが……それにしては、やり方を間違えたな。我々の前で、こんな粗悪な料理を出させたのだから」ミハエルもまた、ランドルフの美食家の血を色濃く引いていたのだ。「全くだ……よくも、我等美食家として名高いフォード家の泥を塗ってくれたな!」「そう言えば、オリビエはどうしたのかしら?」自分に火の粉が飛んでくることを恐れたゾフィーがオリビアの話題を口にした。「お取込み中、申し訳ございません!」そこへメイドのトレイシーが現れた。彼女は今まで様子を伺い、現れるタイミングを見計らっていたのだ。「何だ、この騒々しい時に!」舌打ちするランドルフ。「はい、私はオリビア様の専属メイドです。実はオリビア様は、今夜の夕食で御自身にはパンとスープのみしか与えられないことを偶然知ってしまいました。まさか美食一族として名高いフォード家でそのような料理しか出されないことにショックを受けられたオリビア様は、町の外に外食に行かれてしまったのです。粗悪な料理を口にするくらいなら、外の食事の方がずっとまともだからとお話されておりました」「な、何だと!? フォード家よりまともだと!? あのオリビアがそんなことを言ったのか!?」「そんな! 下町の料理よりも私の腕前の方が優れているはずなのに!」この話に美食家のランドルフ、自分の腕に自信
フォード家でメイドがメイドがクビにされる騒動が起こっている一方、オリビアは店の料理を堪能していた。「……美味しい! このお店の料理……家の料理と同じくらい……いえ、それ以上に美味しい!」オリビアは美味しそうな表情で、スパイスの効いた肉料理を口に入れた。「そうか、気に入ってくれたか。フォード家の令嬢にそう言ってもらえるのは光栄だな」カウンター越しからマックスが笑顔になる。「私が料理を気にいると、何かあるのですか?」「ああ、大ありだ。何しろフォード家といえば、美食貴族ということで有名じゃないか。それに現当主は、たまに食に関するコラムを書いて新聞に掲載されたりしているぞ?」「え!? 何ですか? その話」「自分の家のことなのに知らないのか?」「い、いえ。父が料理のことに関しては、中々こだわりがあるのは知っていましたが……」だからこそ、今夜粗末な料理が自分に出されることを知ったオリビアは外食をすることにしたのだ。料理に関してプライドの高い父親が、パンとスープのみの食事を見過すはずが無いと思ったからである。だが、まさかコラムまで書いていたとは思いもしていなかった。「特に今の当主が訪れる店は、味に間違いはない。必ず儲かる店になると言われているくらいだ。実際その通りだし」「そんな話……少しも知りませんでした。驚きです」「驚くのは、むしろこっちだ。オリビアはフォード家の娘なのに、そんなことも知らなかったのか?」マックスは肩をすくめた。いつの間にか、彼は「オリビア」と呼んでいる。「私……家族とは、うまくいってなくて疎外されているんです。会話に入ることもできません。顔を合わせるのは食事のときくらいなんです。それでも居心地が悪いので1人遅れて食卓について、一番早く席を立っています。だから家族のことを良く知らなくて……」「ふ〜ん。それで居心地が悪すぎて、今夜とうとう1人でバーに来たってわけか?」「いえ。そういう理由ではありませんが……ただ、何となく今夜は外で食事をしてみたかったんです」まさか義母に従順な態度を取らなかった罰として、夕食はパンとスープしか出してもらえないから……とは口に出せなかったのだ。(私自身、夜1人で外食するほど自分が行動的だったとは思わなかったわ。でも、これもきっとアデリーナ様のおかげね)笑顔のアデリーナの姿がオリビアの脳裏を
――20時半 食事を終えたオリビアは見送りするマックスと一緒に店を出た。「それで自転車はどこに止めてあるんだ?」マックスが周囲を見渡す。「ここに止めてあるわ」オリビアは店の路地脇をに置かれた自転車を指さした。「へ〜これがオリビアの自転車か。女で乗っているのは本当に珍しいよな。すごいじゃないか」「そう? ありがとう」いつの間にか、2人は砕けた口調で話をするまでになっていた。「もう遅い時間だが、家は近いのか?」「近いわよ。せいぜい自転車で10分程の距離だから。でも歩きだと20分はかかるけど」「へ〜それは便利だな。だったら、ちょくちょく来店出来るよな?」「え?」その話に、オリビアはマックスの顔を見上げる。「美食家のフォード家の御令嬢が足繁く来店してくれれば店の評判も上がるからな。その分サービスはするし、店にいる間は悪い男が絡んでこないように俺が見張っているから」「あ……ひょっとして私をカウンター席に移動させたのも、食事の間ずっと傍にいたのも、そのためだったの?」「ああ、そうさ。何だよ、今頃気づいたのか?」マックスが肩をすくめる。「ええ、……ごめんなさい。気づかなくて」「そんな謝ることはないって。でも、本当冗談抜きでたまに来店してくれるか? 新メニューを考えておくからさ」「まさか、この店の料理ってマックスが考えたの!?」「当然だろう? 俺はこの店のオーナーなんだぞ? 自分で考案して、レシピを雇った料理人に作らせている。それで俺はウェイターをして、悪い客がいないか見張ってるんだ。何しろ、昼間の時間帯は姉の店だから評判を落とすわけにはいかなくてね」「そうだったの……」(この人、口調も態度もどこか乱暴だけど……いい人みたい)「おい、心の声が漏れているぞ」「あ、ご、ごめんなさい!」まさか口に出していたとは思わず、オリビアは顔を真っ赤にさせた。「ハハ、別に謝らなくていいって。自分でも貴族らしくないと思ってるんだ。それじゃ気をつけて帰れよ。今度は婚約者も連れてくればいいんじゃないか? そうすれば安心だろうし、売上にも貢献してもらえそうだ」「え? 婚約者がいること、知っているの?」「あぁ、まあな。2年の女子学生の中で一番の才女だということで、試験結果が張り出される度、ギスランが自慢していたからな」「ギスランが私を自慢……?」
馬車がフォード家に到着し、扉が開かれた。「オリビア様、到着いたしましたよ。どうです? 所要時間10分の短縮に成功しました……ええっ!? どうなさったのです!?」オリビアの様子は酷い有様だった。髪は乱れ、疲れ切った様子で椅子に座っている姿に驚くテッド。「オリビア様! 大丈夫ですか!?」「無事に着いたのね……よ、良かったわ……」青ざめた顔でオリビアは返事をすると、テッドはぺこぺこと頭を下げて必死に謝罪する。「申し訳ございません! つい、調子に乗ってスピードを出し過ぎてしまいました。本当に何とお詫びすれば良いか……!」「い、いいのよ。元々スピードを上げてと言ったのは私の方だから……」けれどオリビアの脳裏に先程の恐怖の時間が蘇る。まるで舌を噛むのではないかと思われる勢いでガタガタと走る馬車。途中、何度も椅子から身体がフワリと浮き上がり、ドスンと落ちて身体に振動が響く。揺れが激し過ぎて身体が左右に揺さぶられ、何度か壁に頭を打ち付けてまったときもある。「誠に申し訳ございません……」テッドはすっかり落ち込んでいる。「本当に私のことなら気にしないで大丈夫よ。だってあなたのおかげでギスランよりも早く屋敷に帰って来ることが出来たのだから」「あ、そういえば来る途中に。 馬車を1台抜かしていきました。御者の男はギョッとした様子でこちらを見ていましたっけ。きっとあの馬車がそうだったのですよ! 恐らく俺の馬車テクニックに恐れおののいたのでしょうねぇ」得意げに胸をそらせるテッド。しかし、彼は知らない。御者が驚いたのは確かだが、馬車テクニックではなくテッドの発する奇声に恐れおののいていたと言う事実を。「何はともあれギスランより早く着いたことはお礼を言うわ。ありがとう、テッド」「お褒め頂き、ありがとうございます。ではまた同じような速度で今後も馬車を走らせても良いでしょうか?」テッドはあの風を切って走る爽快感が病みつきになっていたのだ。「それは却下よ!」「はい……そうですよね」シュンとするテッド。「そういうことは、誰も乗せない馬車でやって頂戴ね」「はい、オリビア様!」オリビアは馬車を降りると、テッドに見守られながら屋敷の中へ入っていった。**「はぁ~……それにしても怖かったわ。今も生きているのが不思議なくらいね」馬車の中で足を踏ん張り、手すりに
「え!? 婚約破棄だって!? まさかあのギスランとか!?」マックスは余程驚いたのか、追いかけてきた。「ええ、あのギスランよ。彼以外に他にギスランはいないわ」「成程。オリビアもアデリーナ令嬢に触発されて、婚約破棄することを決意したのか」マックスはどこか嬉しそうに笑顔になる。「マックス……随分、嬉しそうね?」「それはそうさ。オリビアは知らないだろうけど、あいつはよくクラスの連中に話していたんだぜ? 俺の婚約者は可愛げが無いが、妹はとても愛らしいって。彼女が婚約者だったらどんなにか良かったのになって……え? 何故そこで笑うんだ? 普通は怒るところだろう?」オリビアが口元に笑みをうかべている様子にマックスは戸惑う。「それはおかしいに決まっているわよ。私はギスランと婚約破棄したい、そして彼はそれを望んでいる。もっとおかしいのは妹が本当は彼を嫌っているのだから」「何だって!? それは楽し……いや、大変な話だな。だけど妙だな……何故君の妹はギスランのことが大嫌いなのに、愛嬌を振りまいていたんだ?」「そんなのは簡単なことよ。私と妹は血の繋がりは無いの。そして義母は私を嫌っている。つまり私に嫌がらせする為に、わざとギスランに近付いたってわけよ」「うわ、何だよそれ。随分な話だな」マックスが眉をひそめる。「でもそのお陰で、私はギスランと婚約破棄しやすくなったわ。それに面白いことになりそうじゃない? ギスランは妹に好かれていると思っていたのに、実際は嫌われていることをまだ知らないのよ? きっとそろそろ家で騒ぎが起きる頃だと思うの。どさくさに紛れて婚約破棄してやるわ。勿論妹との不貞の罪でね」「そうか……それは楽しみだな。あいつに婚約破棄を突き付けてやれ!」「ええ。任せて頂戴! それじゃ、私急ぐから!」オリビアは元気良く手を振ると、馬繋場へ向かって駆けて行った。「頑張れよ、オリビア」マックスは小さくなっていくオリビアの背中に告げた——****「遅くなってごめんなさい!」馬繋場へ行くと、御者のテッドが待っていた。「いいえ、そんなこと気にしないで下さい。仕事ですから」「そう? ならここで御者として、貴方の腕前をみせてくれるかしら?」「え? 何のことでしょう?」首を傾げるテッド。「事故に気を付けて、スピードを出してなるべく早く屋敷に連れ帰って頂戴
「勝ったー! アデリーナ様の勝ちだ!」「やった! 暴君が負けたぞ!」「キャーッ! アデリーナ様ー!」「愛していますっ!」ディートリッヒが首を垂れた途端、拍手喝さいが沸き上がった。歓喜に包まれる中、アデリーナはディートリッヒを見下ろす。「ではディートリッヒ様。約束通り、私から婚約破棄させて頂きます。婚約破棄の理由はズバリ、貴方の不貞ということで国王陛下に報告させて頂きますから」その言葉にディートリッヒは青ざめる。「不貞だって!? 冗談じゃないっ! 婚約破棄は受け入れるが、理由を不貞にするのはやめてくれ! 頼む!」ついにプライドを捨てたディートリッヒは地べたに頭を擦りつけた。「今更何をおっしゃているのですか? 決闘に負けたのはディートリッヒ様ですよ? それに私という婚約者がありながら、サンドラさんという方と不貞を働いたではありませんか? 今はこの場にいないようですけど」辺りを見渡すアデリーナ。アデリーナは知らないが、サンドラはあまりにも事が大きくなり過ぎたことが怖くなり、逃げてしまったのだ。「お、おいっ!? 不貞と言うな! 俺と彼女はお前が考えているような関係じゃないぞ! それにこんな大観衆の前で、妙な話をするんじゃない!」「ディートリッヒ様がいくらサンドラさんと男女の関係は無かったと言っても、四六時中、彼女を傍に侍らせていたのは事実! ここにいる皆さんが証人です!」アデリーナは見物している学生たちを見渡した。「そうだ! 俺達が証人だ!」「浮気なんて最低よ!」「言い訳するなっ!」「尻軽男め!」学生たちの間から、ディートリッヒに関するヤジが飛び始める。もはや彼が侯爵家の者だろうが、お構いなしだ。「くっ……! 周りを巻き込むなんて卑怯だぞ!! そ、それに剣術ができるなんて、俺は聞いていない! 騙しやがって!」「別に騙してなどおりません。ディートリッヒ様が知らなかっただけではありませか。まぁ、それも無理ありませんよね? 貴方は少しも私に興味を持っていなかったのですから」アデリーナの冷たい声はディートリッヒの背筋を寒くさせた。「ア、アデリーナ……お、お前……一体……」「そんなことより、まだ婚約破棄の理由にケチをつけるつもりですか? それとも私にとどめを刺されたいのでしょうか?」握りしめていた剣の先を喉元に向ける。「ひぃっ!
オリビアとマックスはアデリーナが決闘場所に指定した中庭へとやって来た。「まぁ! すごい人ね!」思わずオリビアは声を上げる。既に中庭には驚くほどの学生たちが集まり、決闘が始まるのを待ち構えていたのだ。「どうやらまだ決闘は始まっていないようだな」「そうね。ディートリッヒ様もアデリーナ様の姿も見えないもの」そのとき突然学生たちが騒ぎ始めた。「あ! 来たぞ!」「ディートリッヒ様だわ!」「侯爵が現れたぞ!」上着を脱ぎ、袖をまくった観衆の前にディートリッヒが現れた。彼の右手には剣が握りしめられている。ディートリッヒは姿を見せるや否や、見物に訪れた学生たちに怒鳴りつけてきた。「おまえたち! 何でここに集まっているんだよ! この決闘は見世物じゃないぞ! どっか行けっ!」するとたちまち、学生たちから非難めいたざわめきが起こる。「聞いた? 今の言い方」「本当に乱暴な方だな」「こんなに血の気が多いとは思わなかった」「まさに暴君だ」「おい! そこのお前! 誰が暴君だ! 聞こえたぞ!」ディートリッヒは怒り叫び、声の聞こえた方角に剣を向けたその時。「ディートリッヒ様! 貴方の相手は私ですよ!」凛とした声が響き渡り、腰に剣を差したアデリーナが現れた。赤い髪を後ろに一つにまとめたアデリーナ。赤い丈の短いジャケットを着用し、白いボトムスにロングブーツ姿のアデリーナはまさに戦う女性騎士の姿そのものだ。途端に学生たちから歓声が沸き上がる。「キャーッ! 素敵!」「なんて美しい姿なの!」「応援してますよ!」「コテンパンにやってください!」もはやディートリッヒを応援する者は誰もいない。全員がアデリーナを応援している。「それにしてもディートリッヒ様。まさかそんな姿で決闘に現れるとは思いませんでした。正直驚きましたわ」アデリーナは腰に腕を当てて、ディートリッヒを見つめる。「黙れ! お前の方こそなんだ? その姿は! 騎士の姿をすれば勝てると思っているなら大間違いだ! お前なんかなぁ、この姿で戦って十分なんだよ! どうせすぐに終わる戦いなんだからな!」ディートリッヒは剣を鞘から引き抜き、切っ先をアデリーナに向ける。「そうですか……私も随分舐められたものですね」「当然だ! 女のくせに決闘なんか申し込みやがって! どうせ格好だけで、剣だってまともに
—―15時30分授業が終わると、オリビアは急いで帰り支度を始めた。何しろ、16時からアデリーナとディートリッヒの決闘が始まるのだ。何としてもすぐ近くで見守らなければならない。「ねぇ、オリビア。本当にアデリーナ様の決闘を見に行くの?」隣りの席に座るエレナが心配そうに尋ねてきた。「ええ、当然よ。私はこの目でアデリーナ様の勝負の行方を見守らなければいけないのだから」「そうなのね。でも……ほら、あれを見て」エレナが教室の入り口を指さす。「え? 何かあるの? あら」入り口に視線を移し、オリビアは目を見開いた。他の教室で講義を受けていたはずのギスランが大股でこちらへ近づいて来たのだ。「オリビエ、待たせたな」「え? 私は別に待ってなんかいないけど?」今のオリビエはギスランに全く興味が無い。そこでありのままの気持ちを口にした。「は? 何言ってるんだ。そんなに慌てた様子で帰り支度していたってことは俺のことを待っていたんだろう?」「どうして私がギスランを待たなければいけないのよ」「何だよ。ここ最近様子がおかしいな……もしかして俺が今までお前をあまり構わなかったから心配させようとして、そんな態度を取っているのか?」「本当にギスランのことなんか待っていないわよ。急いでいたのは他に用事があるからよ」「そうよ、オリビアはこれから大事な用事があるのだから。帰りたいなら1人で帰りなさいよ」見かねたエレナが会話に入って来た。「部外者は黙っていてくれ。大体大事な用事だって? 一体これから何があるって言うんだよ。俺は今朝、言ったよな? 放課後シャロンの見舞いに行くって。忘れてしまったのか?」「ええ、覚えているわよ。お見舞いに行くなら、こんなところにいないでさっさと行けばいいでしょう?」「何言ってるんだよ! 俺が1人で行ってどうするんだよ。お前も一緒に来るんだよ!」いきなり右手でオリビアの腕を掴んできた。「ちょっと放してよ!」「いいから帰るぞ、ほら!」乱暴に腕を引っ張るギスランをエレナが止める。「ギスランッ! オリビアに乱暴はやめなさいよ!」その時――「おい。何してるんだよ」突然背後からギスランの左腕がねじりあげられた。「うぁあっ! 痛って!」あまりの痛さに叫ぶギスラン。オリビエアそのすきに腕から逃れた。「大丈夫!? オリビアッ!」エレナが
「う、うるさい! それはこちらの台詞だ! アデリーナッ! お前こそ逃げたりしたら承知しないからな! 大体そこのお前たち、何見てんだよ! 俺は見世物じゃないんだ! あっちへ行けよ! 一体俺を誰だと思っているんだ!」ディートリッヒは上着を脱ぐと、周りで見ていた学生たちに向かって振り回し始めたのだ。「うわ! ついにおかしくなったぞ!」「八つ当たりし始めた!」「早く行きましょう!」学生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、再びディートリッヒはアデリーナを睨みつけてきた。「くそっ! お前のせいで俺の評判がガタ落ちだ! 絶対にお前を倒してやる!」吐き捨てるように言うとディートリッヒは逃げるように走り出した。「え!? 待ってください! 置いていかないで! ディートリッヒ様!」サンドラも慌てて後を追いかけ、その場に残されたのはオリビエアとアデリーナの2人だけとなる。そこでようやく、オリビアは背を向けているアデリーナに駆け寄った。「アデリーナ様っ!」「え? まぁ! オリビアさん! いつからそこにいたの?」アデリーナは驚きで目を見開く。「アデリーナ様がディートリッヒ様に決闘を申し込んだあたりからです」「そうだったのね? 何だか恥ずかしいところを見られてしまったわね」頬を赤らめるアデリーナにオリビアは首を振る。「いいえ! そんなことはありません! むしろ、とても格好良かったです、最高に素敵でした!」「フフ、ありがとう。オリビアさんにそんな風に言って貰えると嬉しいわ」「ですが決闘なんて……しかも剣術での決闘ですよ? 相手はディートリッヒ様ですよ? 周りの人たちの話ではディートリッヒ様の剣術の腕前は中々だと評判でした。そんな方を相手になんて……。今日決闘をするなら、剣術の特訓だって出来ませんよ?」オリビアの目からは、とてもではないがアデリーナが剣で戦えるとは思えなかったのだ。「オリビアさん、私のことをそんなに心配してくれるのね? でも大丈夫よ。勝てない勝負をするつもりも無いから。私を信じてくれるかしら?」「……分かりました。 私、アデリーナ様のことを信じます! 絶対にあんな男に負けないで下さいね!」「あんな男……ね。フフフ、オリビアさんも言うようになったじゃない?」「はい、私が変われたのはアデリーナ様のお陰ですから」「そう言って貰えると嬉
「ほう~俺が決闘内容を決めて良いというのか? 随分と余裕があるじゃないか?」ディートリッヒの挑戦的な言葉に、アデリーナはフッと笑う。「一応貴方はまだ私の婚約者ですからね。せめてもの恩情です。さ、どれになさいますか? 馬術、剣術? それとも学力試験で競い合いましょうか? カードで勝負するのも良いかもしれませんね?」「な、なんて生意気な女だ……いいだろう、なら俺から決闘方法を選ばせてもらおう」「ええ、どうぞ」「そうだな、なら……」ディートリッヒは偉そうな態度を取ってはいるが、心中は全く余裕が無かった。彼は心底、今のアデリーナに怯えていたのだった。(一体、アデリーナの堂々とした態度は何だっていうんだ? いや、違うな。この女は昔からふてぶてしい態度を取り続けていた。いつも何処か俺を見下したような態度を取って全く可愛げが無い生意気な女だった。だから俺は外見は可愛くて、頭が空っぽそうなサンドラにちょっと声をかけただけなのに……)自分の腕にしがみつき、すがるような目を向けてくるサンドラをうんざりした気分でチラリと見る。本当は、とっくにサンドラに飽きてしまって今すぐ縁を切りたい位なのに、世間では恋人同士と認識されているのでそれすら出来ない。「ディートリッヒ様、私どんな勝負でも貴方が勝てるって信じてますから」猫なで声を出すサンドラに、ディートリッヒは心の中で舌打ちする。(チッ! 人の気も知らないで、いい気なもんだ。サンドラがこんなに馬鹿だとは思わなかった。自分の立場もわきまえず、いい気になりやがって。周囲に俺と恋人同士になったと言いふらし、いつでもどこでも付きまとってくるから、切りたくても切れやしない。元はといえばサンドラのせいで俺がこんな目に遭っているっていうのに)呆れたことに、ディートリッヒは自分の浮気を全てアデリーナとサンドラのせいにしていたのだ。「どうしたのです? ディートリッヒ様。早く決闘方法を決めて下さりませんか? これ以上無駄な時間を費やしたくはありませんので、もし決められないのなら私が決めてしまいますよ?」アデリーナの催促に増々焦りが募る。「う、うるさい! 何が無駄な時間だ! こっちはなぁ、どんな決闘なら少しでもお前が有利に戦えるかって、さっきからずっと考えているんだよ!」「あら、そうですか? それはお気遣いありがとうございます。
「決闘だって!?」「侯爵令嬢が決闘を申し出たわ!」「これは大事件だ!」集まる学生たちは、目の色を変えて大騒ぎを始めた。赤い髪を風になびかせ、学生たちの好奇の視線を浴びるアデリーナの姿はオリビアの心を震わせた。(アデリーナ様……素敵! 素敵すぎるわ! あの凛々しいお姿……まさにこの世の奇跡だわ……)アデリーナの姿に感銘を受けたのはオリビアだけではない。女子学生たちの見る目も変わってきていた。「何だか……ちょっと素敵じゃない?」「ええ、誰が悪女なんて言ったのかしら」「私、好きになってしまいそう……」余裕の態度のアデリーナに対し、ディートリッヒは青ざめていた。けれどそれは無理も無い話だろう。決闘を申し込んできたのは女性、しかも婚約者なのだから。「ア、アデリーナッ! お前、本気で俺に決闘を申し込んでいるのか!?」「ええ、そうです。あなたのせいで私の大切な友人が手を怪我したのですから当然です!」その言葉にオリビアは衝撃を受けた。(え!? まさか決闘って……私の為だったの!?)一方、面食らうのはディートリッヒ。「何だって!? 俺は誰も怪我させたりなどしていないぞ! 言いがかりをつけるな!」「確かに、直接手を下したわけではありませんが……ディートリッヒ様! 貴方のせいで彼女が怪我をしたのは確かです! それに手袋を拾った以上、決闘の申し込みを受けて頂きます!」「くっ……」大勢のギャラリーに見守られ、逃げ場がないディートリッヒ。「そ、それじゃ……勝者にはどんな得があるんだ?」「そうですね。もしディートリッヒ様が私に勝てば、どんな命令にも従いましょう」「そうか。ならもし俺が勝ったら地べたに這いつくばって、サンドラに詫びを入れて貰おう」「ディートリッヒ様……」サンドラが頬を赤らめ、周囲のざわめきが大きくなる。「おい、聞いたか? 謝れだってよ」「そんな……侯爵令嬢が男爵令嬢に謝るなんて」「これは屈辱だな」「ええ、良いでしょう。地べたに這いつくばるなり、何なりとしてあげますわ。それどころか1日、サンドラさんのメイドになって差し上げてもよろしくてよ?」「ほ、本当ですか? 本当に……私のメイドになってくれるのですね?」サンドラが図々しくもアデリーナに尋ねてくる。「ええ、ただし私が負けたらですけど?」毅然と頷くアデリーナに、ディート
それは昼休みのことだった。親友のエレナが今日は婚約者のカールと昼食をとるということで、オリビアは1人でカフェテリアへ向かうため、他の学生たちに混じって渡り廊下を歩いていた。中庭近くに差し掛かったとき、大勢の学生たちが集まって何やら騒いでる様子に気付いた。(一体何を騒いでいるのかしら)少し気になったが、そのまま通り過ぎようとしたとき学生たちの会話が耳に入ってきた。「またアデリーナ様とディートリッヒ様か」「本当に騒ぎを起こすのが好きな方ね。さすがは悪女だわ」「でも、あれじゃ文句の一つも言いたくなるだろう」「え!? アデリーナ様!?」オリビアが反応したのは言うまでもない。「すみません! ちょっと通して下さい!」群衆に駆け寄り、人混みをかき分け……目を見開いた。そこには例の如く、ディートリッヒと対峙するアデリーナの姿だった。当然ディートリッヒの傍にはサンドラがいる。そしてディートリッヒはいつものようにアデリーナを怒鳴りつけていた。「いい加減にしろ! アデリーナッ! 毎回毎回、俺達の後を付回して! 言っておくが、今度の後夜祭のダンスパートナーの相手はお前じゃない! ここにいるサンドラと決めているからな! いくら頼んでも無駄だ! 覚えておけ!」「は? 何を仰っているのですか? 私がディートリッヒ様の前に現れたのは、まさか後夜祭のパートナーになって欲しいと頼みに来たとでも思っていたのですか?」両手で肘を抱えるアデリーナは鼻で笑う。「何だよ。違うっていうのか?」「ええ、違いますね。大体ディートリッヒ様が私のパートナーになるなんて冗談じゃありません。こちらから願い下げです」「……はぁっ!? な、何だとっ! 今、お前俺に何て言った!?」「もう一度言わなけれなりませんか? 仕方ありませんね……では、言って差し上げましょう。ディートリッヒ様と一緒に後夜祭に行くぐらいなら、カカシを連れて参加したほうがマシですわ」すると周囲の学生たちが一斉にざわめく。「おい、聞いたか?」「まぁ、カカシですって?」「よもや、人ではないじゃないか」「お、おかしすぎる……」「アデリーナ様……」オリビエも驚きの眼差しでアデリーナを見つめていた。「アデリーナッ! よりにもよってカカシの方がマシだと!? お前、一体なんてことを言うのだ! 冗談でも許さないぞ!」